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zoom RSS 【鉄道】中年が見た流星--思い出の夜行列車2-【写真】

<<   作成日時 : 2017/02/04 20:53  

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 ひきつづき、昔撮った写真から、夜行列車を紹介してみます。


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  特急「トワイライトエクスプレス」 下り 北陸線倶利伽羅駅 2008年夏
 JR西日本が誇った豪華寝台列車で、大阪と札幌を、日本海重幹線経由で結んでいました。
 1989年に登場しましたが、昔から臨時列車扱いで、平日には運転しない日があり、豪華さと相まって、切符の入手が難しい人気列車でした。
 カシオペアや後のななつ星と同様、移動手段としてではなく乗ることが目的のクルージングトレインの要素が強く、編成は、ロイヤルA寝台個室、スイートA寝台個室、2人個室B寝台(ツイン、シングルツイン)、4人個室B寝台と、全室個室で、さらに食堂車と展望付きロビーカーを連結していました。日本海側の眺望が良くなるような車内レイアウトも特徴でした。
 2人同時利用が前提のカシオペアとちがい、B寝台は1人で乗車が可能で、4人個室利用のさいは、相部屋になりました。
 車両は在来の24系を改造したもので、そこは北斗星と似ています。牽引機は青森までEF81、函館まではED79、道内はDD51重連でした。

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  特急「トワイライトエクスプレス」 東海道線山崎駅
 トワイライトエクスプレスの走行距離は1500kmを超え、所要時間は下りで22時間2分と我が国の旅客列車としては最長距離、最長所要時間を誇り、20時間超も唯一のものでした。運行時間は意図的に大阪を昼頃に出発・到着させ、下りは富山と直江津の間で日没、函館と長万部の間で日の出になるように、上りはその逆に設定されています。ちょうど日が海に沈むのがよく見える(その時間帯に日本海・噴火湾に面した区間を走る)ようになっています。
 そこから見ても「移動手段」としての時刻設定は考慮していないことが伺えます。

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  特急「トワイライトエクスプレス号」下り 石動駅 2008年夏
 トワイライトエクスプレスは2015年、大阪-札幌間の列車としては廃止されましたが、その後しばらくは団体列車として走っており、北陸だけでなく山陰でも運行されました。これはその後に続くクルーズトレインのはしりとも言えます。
 本格的な西日本のクルーズトレイン、87系寝台気動車「トワイライト瑞風」運行のめどが立ったこともあり、老朽化を理由に車両も廃車されましたが、一部は京都鉄道博物館に保存されています。

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  特急「はくつる」号 下り 上野駅 2000年頃
 東北本線に初めて登場した寝台特急で、東北線全線電化完成後は長らく583系寝台電車で運行されていた列車です。いわゆる「上野発の夜行列車」群のひとつで、東北本線を全線走破していました。1994年からはEF81牽引24系客車での運行になり、同時に若干スピードダウンされました。
 2002年に東北新幹線が八戸まで延伸したとき、並行在来線の第三セクター化の影響を受け、廃止されました。東北自動車道は夜行バスの本数も多く、その台頭も廃止の一因です。

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  はくつる号にも連結されていた「ごろんとシート」
 あけぼの号と同様、寝台料金不要で利用できる座席区画「ごろんとシート」が、晩年は連結されていました。寝台のシーツや毛布、スリッパ、浴衣のサービスを廃していますが、寝台そのものは利用でき、指定席料金のみで横になったまま移動できます。リーズナブルで便利なサービスでしたが、座席販売窓口などでの周知が徹底されておらず、一般の人にはあまり知られていないサービスでした。
 このほか、はくつる号は、A寝台個室とB寝台で編成されており、客車化と同時にB寝台は2段寝台に統一されていました。
 私は583系当時に1回、24系当時に数回利用しました。583系は3段寝台で、下段は余裕があったものの、高さは明らかに客車寝台より低く、A寝台並みに広い寝台幅とのアンバランスぶりが印象に残っています。583系当時はそのほかに指定席普通車とグリーン車の座席車が連結されていました。指定席車は結構利用がありました。これは東北夜行急行「八甲田」廃止による代替措置でした。

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  青森駅で、スーパーはつかり号と並ぶはくつる号
 入れ替えDLに牽引し車両区に引き上る時です。
 「はくつる」はスピードが速く、上野を22時半過ぎに出発し、盛岡には早朝5時半、青森に8時17分に到着するため、北東北観光には利用しやすい列車で、何回か利用しました。
 東北夜行急行が走ってた頃は、上野を21時半過ぎと「はくつる」より先行して出発していた急行「八甲田」を、水沢駅で追い抜かし、盛岡や青森にはこの列車が先着と、往年の国鉄全盛期のようなダイヤが組まれていました。上りは福島で、八甲田を追い抜いていました。


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  特急「あかつき」  下り 京都駅 1999年頃
 京都駅から長崎・佐世保駅まで走る、いわゆる「関西ブルトレ」の一つです。
 最大の特徴が、この写真の通り、指定席座席車を連結していたことで、長崎往き編成最後部1両が座席車でした。車内はグリーン車や夜行バスと同様の3列座席というハイグレードさでした。
 2008年に廃止された列車で、晩年は「彗星」や「なは」と併結運転していましたが、このころはまだ単独運転で佐世保編成も連結していました。
 先述の座席車のほか、A寝台1人個室、B寝台個室(1人用ソロ車・1人用シングルツイン車、2人用個室)、2段開放B寝台と、編成バリエーションが豊富な列車でした。京都を夜8時ころ出発、博多に6時過ぎ、長崎には8時42分に到着と時間帯も比較的良く、新幹線を乗り継げば東海道ブルトレより短い時間で、座席車を使えば安く九州へ行ける列車でした。ただ、九州ブルトレの大きなデメリットとして、九州内の途中駅で必ず、後続の特急に追い抜かされるダイヤでした。この列車は長崎直前の現川駅で後続の「かもめ」号に追い抜かれるという残念なダイヤで、こういった所が利用者減少の一因だったと思われます。

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  あかつき号座席車
 グリーン車以上の居住性を備えた、いわゆる「レガードシート」車でした。夜行列車は深夜になると室内灯が減光されますが、この車両は完全に消灯されました。夜行バスに倣ったと思われます。座席指定特急料金のみで乗車できる乗り得列車で、何回か利用しました。九州から帰って来る時も、2回ほど利用しています。
 B個室寝台も利用しましたが、料金がやや高いシングルツインはさすがに室内空間が広かったのを覚えています。B個室ソロ車は、あけぼの号同様ブルマン式で特に下段は狭く感じました。窓が広かったのが救いでした。


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  急行「だいせん」 下り
 新大阪から福知山線、山陰線経由で出雲市駅まで運行されていた夜行急行で、廃止直前は気動車運行でしたが、写真の通り90年代末までは、客車列車による運転でした。24系寝台車に、12系座席車を連結、DD51が全区間牽引していました。
 JRになってから12系客車の座席がリクライニングシートに交換され、周遊券などで利用できるので学校が休みの時期になると自由席車は結構混雑していました。
 深夜になるものの福知山駅から出雲市まで上下とも利用しようと思えば利用できたので、山陰ワイド周遊券を駆使した利用をしました。国鉄分割民営化の前夜に乗車したことを覚えています。


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  急行「ちくま」 松本駅 1995年頃 下り
 大阪駅から東海道、中央西線経由で長野駅までを結んでいた急行列車です。
 この列車は、客車時代に、上りの名古屋から大阪までと、下りの松本から長野までのみ利用しました。だいせんと共通編成で、12系客車と24系寝台車の編成でした。東海道線ではEF65、中央線ではEF64-0番台の牽引でした。
 名古屋を早朝5時すぎに出て、大阪に7時28分頃着と、銀河よりやや遅い時間を走り、名古屋周辺では実質始発列車でした。
 下りも上りも、松本駅で、新宿発着の夜行急行アルプスと接続していました。
 晩年は383系電車に置き換えて運転していました。

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  急行「ちくま」 上り 山科駅
 383系置き換え後の姿です。

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