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zoom RSS 【鉄道】中年が見た流星--思い出の夜行列車-【写真】

<<   作成日時 : 2017/01/30 20:43   >>

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 今年春に予定しているダイヤ改正では長距離系統や新幹線の大きな改廃はなく、唯一残った「サンライズ号」も現状維持の模様です。E26系カシオペア編成は団体専用クルージングトレインとして再出発し、一足早く営業開始した九州の「ななつ星」につづき、東日本と西日本のクルーズトレインが今年春から営業運転を開始します。クルーズトレインも味方によっては夜行列車の一種ですが、それを言えば貨物列車の大半も「夜行列車」です。移動手段としての列車ではありません。
 ただ、一方で、JR西日本では近いうちに、もっとリーズナブルな長距離列車の運転を計画しています。起点と終点が同一のクルーズトレインと違う従来型の列車の上、夜行列車となる可能性が高いものです。

 海外に目を向けると、昨年、ドイツ鉄道が、夜行列車CNL(シティナイトライン)の運行から撤退すると発表して話題になりました。

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  シティナイトライン(2003年、ウィーン東駅)

CNLは個室寝台から座席車まで連結し様々なサービスを提供し、値段も手ごろなので人気がありました。すでに2008年のダイヤ改正から欧州でも夜行列車の廃止が活発化していました。最終的には、オーストリア連邦鉄道が運行を肩代わりすることになりましたが、同時に多くの夜行がリストラされました。まあその一方でナイトジェットという別の夜行列車サービスも出てきてますが。

 今回は、そのように海外でも再編進むなかで、西日本の新しい列車構想に夢をはせつつ、私が撮影した、往年の夜行列車を紹介します。


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  特急「日本海」 2008年頃、北陸線津幡駅 上り
 日本海重幹線を走破する列車で、一時は函館まで走っていました。同じ区間を走るトワイライトエクスプレスと違い、個室A寝台1両のほかは全部開放B寝台の単調な編成でした。
 上りは青森出発19時30分頃ですが、写真の通り金沢付近でもう6時過ぎになり、大阪到着は10時27分、おまけに後続特急サンダーバード6号に追い抜かれるダイヤでした。2012年に臨時格下げされ、なし崩し的に廃止されました。

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  同じく「日本海」下り 奥羽本線大釈迦-鶴ケ坂間
 豪雪の青森県内をラストスパート 2008年頃です。

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  「日本海」下り 東海道線山崎駅付近 2000年頃

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  雪の青森駅に停車中の「日本海」
まだ函館まで走ってた頃で、ED79に牽引され、津軽海峡線にむけ出発しようとしています。


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  特急「北陸」 上野駅 下り 2008年頃
 上野と金沢を、上越線長岡経由で結ぶ寝台特急で、ブルトレとしては走行距離も時間も短いにもかかわらず、個室A寝台、個室B寝台、開放寝台とバリエーション豊かな編成が特徴で、個室の部屋数も他の列車より多かった列車です。B個室寝台は、北斗星などと同じ枕木方向のソロ(1人個室)でシャワールームまでついていました。
 長岡駅で方向転換と機関車付け替えを行ってましたが、上越線内は年代によってEF64-1000の時とEF81の時がありました。下りは上野発23時3分金沢駅6時24分着と夜行としては極めて有効な時間帯に走っていました。到着時刻が早いことから、金沢到着後、東金沢駅に回送留置し、9時ころまでは車内でゆっくりできるというサービスも行っていました、北陸新幹線開業で確実に消えると思っていましたが、実際はそれより早く、2010年の春に廃止されました。年間通じて利用率の高い列車でした。

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  津幡駅を出発する特急北陸 下り 2008年頃
 晩年は津幡駅にも停車していました。北陸地方は夜行列車を使用しやすい企画乗車券がいくつかあり、それを使って旅行していました。

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  北陸号 与野駅 上り 2008年頃
 上りは上野駅には早朝6時19分に到着していました。その前に同じ区間を急行能登号が走っていましたが、座席オンリーの列車だったのですみ分けていました。

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  金沢駅で出発を待つ上り北陸号と能登号
 この当時でも、このような並びはなかなか見られなくなっていました。能登号は金沢駅を22時15分に出発、北陸号のわずか3分前です。

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  6月頃、雨の早朝、東十条駅を通過する北陸号上り
 著名撮影地を北陸は6時10分前に通過していきます。始発電車でぎりぎり間に合う状況、日の長い時期でないと撮影は難しく、日の長い6月は雨が多くて明るさ不足、ゆえに流れた画像になってしまいました。後ろに移っている京浜東北線の209系も懐かしいです。


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  急行「銀河」 下り 大津駅 2001年頃
 東海道線、東京-大阪間を走る寝台急行「銀河」は、私が一番多く利用した夜行列車です。列車設定はかなり古くからある伝統の列車の一方で、以前より夜行バスとのし烈な競争がありましたが、東京を夜23時に出発し、京都に6時43分に到着、大阪には7時18分到着と、絶好の時間帯を走行しているうえ、新大阪や大阪駅で他の路線への接続も良かったので、京都観光を主に山陰などに行く時もよく利用しました。
 新幹線のぞみとの運賃差は2000円程度しかなく、最終のぞみより2時間遅く出て、始発のぞみより1時間早く到着し、バスと違って寝台に横になれるので、リピーターも多く、ビジネス利用メインに根強い人気がありました。
 逆に私の場合、大阪から東京へ帰るときに利用したことはありませんでした。
 「北斗星」に顕著でしたが、夜行列車の多くが、このように東京から下る列車に利用が集中し、東京に戻って来る場合は新幹線や飛行機で来る場合が多い、いわば「片荷輸送」が多いのが実態で、これは90年代初頭から如実に表れていました。
 上りと下りの利用者のアンバランスは、車扱い貨物列車の変空回送と同じで、経営側にとっては非効率不経済だったのは明らかで、夜行列車衰退の理由の一つだと思います。これは我が国に限らず、周辺国や欧州でも同じようです。

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  東京駅で出発を待つ急行「銀河」
 かつてはブルトレ街道だった東海道線、銀河は2008年に廃止され、今は定期は「サンライズ」、臨時で「ムーンライトながら」が残るのみ。
 その一方で東海道線を走る夜行貨物列車の本数は多く、上り戸塚あたりで朝4時から5時台の2時間に15本くらいの貨物列車が来ます。斜陽化した鉄道貨物も東海道の需要は旺盛で、高速コンテナ列車がブルトレに代わって、夜の東海道に花を添えています。
 「銀河」号が走っていたころからダイヤにそれは現れており、下り銀河は途中駅で、コンテナ貨物列車に追い抜かされていました。沼津駅で運転停車中に時速110kmのスーパーライナーに抜かれ、静岡駅と豊橋駅でも運転停車して高速貨物に道を譲っていました。銀河の走る時間帯が、高速貨物のラッシュ時と重なっていました。
 貨物列車の需要の強い時間帯に、需要の不安定な夜行列車が走るのは、貨物列車の高速化や増発にとっては邪魔でもあったようで、実際に廃止になった夜行のスジを後に貨物列車が活用する例が散見されます。
 
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  急行「銀河」 上り 鶴見駅 2006年頃
 東海道線で早朝に貨物列車を撮影すると、東京付近でも大阪付近でも、そのトリを飾る感じで、銀河号の青一色の編成が来るので、「ついでに」それを撮るという感じで撮影してました。なので、銀河の撮影地点は同じところばかりになっていました。もったいないなあと今では思います。
 急行ながら銀河の編成はブルトレと同じで、24系のA寝台(開放)1両、あとはB寝台だけ、座席車は連結されていませんでした。多客期に臨時の「銀河」がオール座席車(14系)で走り補完してましたが、こちらも全車指定席という利用しずらい列車でした。夜行快速や高速バスが併走してたので差別化を図ったのでしょうが、急行らしからぬ硬直した編成は徐々に利用者離れを招いたようです。
 私は90年代半ば頃、ほぼ毎月1度はこの列車を利用してた時期がありました。ガラガラの日はまず見かけませんでしたが、A寝台を利用した際、年末の繁忙期なのに当日、指定が取れました。2000年頃になると、ゴールデンウィークのさなかなのに、前日B寝台の下段が取れました。乗車すると、空きが結構ありました。乗ってはいましたが、目に見えて乗客が目減りしてるのはあらわれていました。寂しい現実です。

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  鶴見駅を通過する上り銀河 最晩年の頃
 東京駅には6時42分到着と早く、ここ鶴見を通過するのは6時20分過ぎ、これがやって来る頃が、貨物列車のラッシュの終わりで、この後、サンライズ号が通過していくと、電車の朝ラッシュが本格化します。最期の頃は編成も短く機関車とカニを併せても8両なんて日もありました。


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  特急「あけぼの」号 下り 鷹ノ巣駅 2000年秋
 2014年春に事実上の廃止と、かなり最近まで生き残った列車です。上野から上越線、羽越線、奥羽線を経由し、日本海廻りで青森まで走る伝統の列車で、2010年冬の東北新幹線新青森全通と同時になくなるかと思いましたが、この時は生き残りました。
 もともとは東北線、福島から奥羽線を走破し、山形、秋田、青森と結ぶ列車で、山形新幹線や秋田新幹線の開業によって何回か経路が変わり、結果的にかつての「出羽」や「鳥海」と同じ長岡、酒田廻りにおちつきました。平成の初期は2往復しており山形・秋田県民中心に根強い需要があり常に定員の半数以上の乗車率のあった列車です。
 編成が北陸と同じく豊富で、個室A寝台、B寝台一人個室(ソロ)、開放B寝台のほかに、ゴロントシートというB寝台の区画をリネンなしで開放した事実上の指定座席車(女性専用車もある)があり、これが人気を博していました。
 個室B寝台は、定員を確保するためサンライズと同じブルマン式区画を採用し、偉い狭く感じた記憶があります。
 都内から東北へは、JR東日本が当時様々な企画切符を用意しており、それを組み合わせて乗車することも出来ました。

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  与野駅を通過する上りあけぼの号 2008年7月頃
 牽引機はEF81(東日本機)。上越線区間はEF64牽引の時期とEF81牽引の時期があり、晩年はEF64牽引でした。
 上りは18時23分に青森出発、秋田が21時23分、大宮が6時29分、上野に6時58分着で、北陸号の40分後に到着でした。
 下りは21時16分上野出発、秋田6時38分着、青森9時52分着で、上野と秋田や酒田の間はこまち号を利用できない有効時間帯を走っていました。

 夜行の廃止の要因は、「会社またがり」「貨物の邪魔」「整備新幹線開業と併行在来線三セク化」「機関車や車両の問題」「夜行列車用の運転士、駅要員等による問題(要員減少や高齢化)及び人的コスト」「高速道路開通」「夜行バスと航空の低価格化」「地方の人口減少、高齢化、不活性化による需要母数事態の減少」といったものがあげられますが、「あけぼの」の場合、その要因が少なく、これが消えたらもう日本の夜行列車は終わりだなとは思っていました。
 経営者側の事情を主な理由として消えた列車のひとつと言えます。一方、利用者の母数が減少(長期不況のためそもそも旅行自体をしない、少子高齢化といった人口動態)も目立った原因と考えています。で、これ、日本に限った話ではありません。だから夜行列車の衰退が世界的な傾向になってきてるのです(中国やインドのような大人口国は特殊です)。

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  青森駅で 2000年頃、はくつる号と思われます。

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 24系寝台車2段式開放B寝台下段 寝台車の中で、最も一般的な寝台でした。

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 24系B寝台車通路 
 寝台が枕木方向に並んでいたので、通路は車体の端によっていた。いわゆるブルマン寝台(A寝台や583系)は座席者と同じ中央通路式。

                     不定期ながらつづきます

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